久保猪之吉、より江/曽田公孫樹 年譜
年 号
久保猪之吉、より江
曽田共助(公孫樹)
明治7
1874
●12月26日福島県安達郡本宮町で出生。
17
〃84
●宮本より江9月17日、愛媛県松山市で出生。
18
〃85
●10月20日新潟柏崎で出生。
※より江の事項は、首部に、より江と記している。その他は猪之吉の事項。
※ 旧制2高より、九州大学医学部入学、久保猪之吉教授の耳鼻咽喉科を専攻。卒業後、教授につき、九州大学医学部勤務。
24
〃91
福島県立尋常中学校(2年より安積中学校に名称変更)卒業。●旧制第一高等学校入学。●一高時代、落合直文の知遇を受け短歌革新結社「淺香社」に入る。
29
〃96
●東京帝国大学に入学。耳鼻咽喉科専攻。
31
〃98
●読売新聞に短歌を発表し始める。●淺香社脱退。服部躬治ら五人と和歌革新の「いかづち会」を結成。
33
1900
●2月に大学卒業。
34
〃01
●1月耳鼻咽喉科岡田和一郎教授につき副手7月助手。
36
〃03
●5月宮本より江と結婚。●6月ドイツのフライブルグ大学留学。グスタフ・キリアン教授につく。12月東京帝国大学福岡医科大学(九州大学)助教授。
40
〃07
●1月帰国。●京都帝国大学福岡医科大学教授に任じられ、福岡市東公園に居住(のち、赤坂門に移る)。●2月耳鼻咽喉科教室を開設。●6月「福岡医科大学雑誌」発刊、編集担当●8月医学博士・このころ日本最初の気管支鏡による異物摘出。「いかづち会」自然解消。
44
〃11
●4月九州帝国大学医科大学に名称を変更。写真や、ベゴニア蒐集に熱中。
45
〃12
●4月、夏目漱石の依頼で喉頭結核の、アララギ派の歌人、長塚節を診察(大正4年2月九大病院で死亡)。
●長塚節の主治医となる。
大正2
〃13
●1月、若山牧水来訪。●2月文芸雑誌『エニグマ』発行。●7月〜翌年1月までイギリスへ出張。万国医学会出席。
●「エニグマ」編集に関与、短歌を寄せる。
5
〃16
●小倉市立病院耳鼻咽喉科医長。
6
〃17
●9月高浜虚子来福、吉岡禅寺洞と交遊。
8
〃19
●九州帝国大学医科大学が九州帝国大学医学部になる。
●小倉市堺町に耳鼻咽喉科医院開業。
10
〃21
●九州帝国大学付属病院長。
11
〃22
●俳誌「ホトトギス」初掲句。
13
〃24
●月〜翌年2月まで欧米へ出張。
※文化関係ほかの来訪が多く、開放された客間が次第に文化サロンとなった。
昭和2
〃27
●月「久保記念館」完成。
3
〃28
●コペンハーゲン開催の第1回万国耳鼻咽喉科学会に5月〜11月まで欧米へ出張。
8
〃33
●小倉郷土会発足、会長。機関紙「豊前」発行。毎月の例会の会場は曽田邸であった。
9
〃34
●フランス政府よりレヂオン、ドヌール勲章。
10
〃35
●2月7日退官(九州大学名誉教授)。東京聖路加病院顧問。東京都市麻布区笄町に移る。
14
〃39
●11月12日逝去。享年66歳。青山墓地に埋葬。
15
〃40
●横山白虹とともに「良夜句会」を自宅で開始。
16
〃41
●より江5月11日逝去。享年57歳。青山墓地に埋葬。
●健康を害する。医院は九大関係の医師たちにより昭和31年まで継続。
22
〃47
●九州帝国大学医学部が九州大学医学部となる。
※専門的論文は邦文530篇、欧文42篇。
ほかに医学史 論文も多い。医学外文章
172篇を発表。
27
〃52
●小倉郷土会復活、機関紙「記録」に。
38
〃63
●7月5日逝去。享年78歳。