司会
2000年を迎えると、北九州市が誕生して三十七年になりますね。ひとつの新聞記事があります。「20世紀との対話」と題した西日本新聞の九州百年シリーズに、「五市合併」が取りあげられています。
四島
昭和三十八年二月十日。歴史に刻まれた、輝かしい一日でした。合併実現の日の市民の歓びが、如実にうかがわれますね。新世紀を展望して、今世紀の検証のひとつに、あらためて五市合併を振り返るときですね。
出口
門司、小倉、若松、八幡、戸畑、のいわゆる「五市合併」は、戦前からの宿願で今世紀の大事業でした。あれからそろそろ四十年。世代もかわりましたから、旧五市の顔を知らない人も多い。反面に、旧五市を懐かしむ人たちも。そして、五市合併にかけたロマンが達成されているかどうか。
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新生「北九州市」の看板
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四島
今は、整理統合や合併が内閣の省庁や大企業で進められていますが、地方自治体の合併で、これほど大規模で産業全般に影響した合併は、他に例がないでしょう。会長は、ずっとその中枢にタッチしていらっしゃって、五市合併の生き証人ですね。
出口
私は、当時、小倉市役所の総務部企画課にいました。若いぺーぺーでしたが、合併の当初の担当者で現役なのは私だけになってしまいました。上司だった小倉市長の林信雄さんや八幡の大坪純さん、戸畑の白木正元さん、若松の吉田敬太郎さんら当時の市長さんたちが、あいついで亡くなられました。薫陶(くんとう)いただいた小倉の香月助役さんも、久富総務部長さんも、工藤・大塚課長さんも。だが、門司市長だった柳田桃太郎さんが、九十二歳でご健在で心強いですね。
四島
柳田さんは、合併の貴重な推進役を果たされましたね。最初に合併の話が出ましたのは。
出口
最初は、昭和三十五年の小倉の年頭名刺交換会でした。そのとき、林市長が今年こそ五市合併を進めたいと決意表明をなさった。いよいよ歴史が動くなと強く感銘を受けたことを鮮明に覚えております。そして二月十日の五市の市長会で、八幡の大坪市長が五市合併を正式に提案された。市長さんたちもOKで、みんなでやりましょうとなったのです。
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左より白木(戸畑) 吉田(若松) 太平坪(八幡)
林(小倉) 柳田(門司)市長
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四島
合併のちょうど三年前ですね。
出口
今考えると、ちょっと不思議な気もしますね。あれだけの大問題を、前年に初当選されたばかりの八幡市長が突然に提案して、よっしゃ、みんなでやろうと決まったのですから。そのとき、八幡市会議員の岩尾四十三郎(いわおよそさぶろう)さんも、不思議に思われたのですね。そのニュアンスをメモに残されていて、北九州都市協会の広報誌「ひろば北九州」に掲載されています。八幡の議員さんの間で、なんで急に合併話が飛び出たのかと話題になって「市長は小倉市長と合併の下地話をしチョラせんナ」とか、「あれは八幡製鉄所の指令じゃろうか」とか、噂話が飛びかって、合併研究委員会でもつくろうかという話になったそうです。それを読んで、私もハハーンと気付きました。小倉と八幡の市長間では、合併の下話ができていたのですね。 |