川上 音二郎 年譜

文久4年(1864) (この年2月20日元治と改元)
博多中対馬小路藍問屋・川上専蔵の長男として出生。
明治10年(1877) 14歳、家を飛び出す。東京に出て増上寺の小僧。
福沢諭吉に見出され慶応義塾の学僕となる。裁判所給仕。
こうもり傘の修繕をしながら東海道を京都へ。
京都府巡査。のちに自由民権の演説使いの壮士となる。
-2月~9月西南の役・4月東京大学設立。
明治20年(1887) 12月、保安条例公布。自由民権運動大弾圧。
壮士は飯が食えなくなる。音二郎、京都・阪井座の中村駒之助一座に入り、八犬伝・芳流閣の場で御注進の役。
大阪の落語家・桂文之助に入門、浮世亭○○と名乗りオッペケペをはじめる。
-鹿鳴館で首相主宰の舞踏会
明治21年(1888) 12月3日、岡山出身の壮士・角藤定憲、大阪・新町座で「大日本壮士改良演劇会」の旗上げ。
明治23年(1890) 音二郎「書生仁和加」を組織して巡業をはじめる。 
-第1回衆議院選挙・教育勅語発布
明治24年(1891) 2月5日、堺の卯の日座で川上書生芝居の旗上げ。
だしものは「板垣君遭難実記」好評。6月20日浅草鳥越の中村座で公演。初の東京進出は好評、大成功。
ついで猿若町・市村座に出演。神風連の実録「ダンナハイケナイ」好評。 
-津田三蔵の大津事件・鉄道上野★青森間開通
明治25年(1892) 福地桜痴の書きおろし「平野次郎」上演。
明治26年(1893) 1月、鳥越座(中村座が改称したもの)出演中の川上が突然蒸発。奴と結婚する。奴は本名・小熊さだ、明治5年日本橋の生まれ。
-郡司大尉千島探検
明治27年(1894) 日清戦争はじまる。川上一座の「壮絶快絶日清戦争」大当たり。川上は現地視察で朝鮮に出かけ「川上音二郎戦地見聞日記」を上演(12月、市村座)。
川上一座の人気沸騰
明治28年(1895) 5月、日清戦争実記「威海衛陥落」で念願の歌舞伎座の舞台を踏む。
-日清講和条約、英独仏三国干渉により遼東半島還付
明治29年(1896) 6月神田三崎町に自前の劇場・川上座を建てる。
間もなく経営不振で人手に渡る
-アテネで第1回オリンピック
明治31年(1898) 3月、衆議院議員に立候補、落選。
明治32年(1899) 4月30日、神戸発アメリカ巡業へ。
-条約改正(治外法権撤廃)
明治33年(1900) 2月から4月までニューヨーク公演。好評。
6月ロンドン公演。7月パリ万国博公演。
11月フランス政府からアカデミー勲章を授与される。
明治34年(1901) 1月、神戸に帰着。4月6日、神戸発再び渡欧。
スペインからロシアまで14ヵ国を回る。
明治35年(1902) 露都ペテルブルグでニコライ二世からダイヤモンド入り金時計下賜。8月神戸に帰着
-日英同盟調印
明治36年(1903) このころから翻訳劇、児童劇を手がける。
明治37、8年 日露戦争
明治44年(1911) 10月、帝国座開場。このころから健康を害し11月10日夜、帝国座の舞台に運ばれ翌11日朝6時死去。48歳
-平塚雷鳥ら青踏社結成
昭和21年(1946) 川上貞奴死去。74歳