「鴻臚館」関係年表

西暦 年次 事蹟
9   新の王莽が大泉五十を鋳造。(鴻臚館跡出土)
56   奴国王が後漢の光武帝から漢委奴国王の金印をもらう。
239   卑弥呼が使を魏に派遣、皇帝から親魏倭王の金印と紫綬をもらう(このころ伊都国に一大率を置き対外交渉にあたらせる)。
536 宣化1 那の津に筑紫官家をつくる。
600 推古8 倭国の使者、隋に至る(隋書)。
601 推古9 来目皇子が新羅征討のため筑紫に来る。
607 推古15 遣隋使小野妹子が隋へ。翌年、隋使裴世清を伴い筑紫に帰着。再び隋へ。高向玄理ら同行して留学する。
609 推古17 筑紫大宰の官名が初めて正史にみえる。
621 推古29 新羅使が筑紫に来る。
630 舒明2 遣唐使が那の津に泊まる(最初の派遣)。
653 白雉4 遣唐使二隻で出発、一隻遭難。
654 白雉5 遣唐使二隻で新羅を経て唐に向かう。
659 斉明5 遣唐使二隻で出発、一隻遭難。
661 斉明7 百済救援のための斉明天皇那の大津に、朝倉宮にて死去。
663 天智2 日本軍が白村江で唐・新羅軍に大敗。
664 天智3 対馬、壱岐、筑紫に防人と烽を置き、筑紫に水城を築く(大宰府を設置)。
665 天智4 唐使の帰国に遣唐使が同行大野、椽の二城を築く。
669 天智8 遣唐使を派遣。
672 天武1 新羅使が白村江の戦後初めて筑紫にくる。
688 持統2 新羅使を筑紫館でもてなす。
701 大宝1 遣唐使粟田真人ら出発する。
716 霊亀2 遣唐使多治比県守ら四船にて出発。玄(日ヘンに方)、吉備真備、阿部仲麻呂随行。
727 神亀4 渤海使が出羽に漂着し入京。
733 天平5 遣唐使多治比広成ら四船にて出発。
736 天平8 遣新羅使が筑紫館で歌を詠む(万葉)。
746 天平18 石上乙麿を遣唐使任命(中止)。観世音寺竣工。
752 天平4
勝宝
藤原清河、大伴古麿、吉備真備ら四船に分乗出発。
754 天平6
勝宝
大伴古麿、唐僧鑑真を伴って帰国。
776 宝亀7 遣唐使佐伯今毛人ら便風を得ず延期。翌年、佐伯が病気を訴え副使小野石根が入唐。
804 宝亀23 遣唐使四船で出発。最澄、空海が同行。
836 承和3 遣唐使藤原常嗣ら逆風にあい肥前漂着。
838 承和5 藤原常嗣ら出発。円仁・円載が同行。この時の記事に鴻臚館の名がみえる。
847 承和14 円仁ら新羅船で帰国、鴻臚館に入る。
858 天安2 入唐僧円珍が帰国。鴻臚館で作った詩に鴻臚北館門楼の表現がみえる。
869 貞観11 新羅海賊が博多湾に侵入。鴻臚中島館を置き防備を固める。
894 寛平6 遣唐大使菅原道真の奏により遣唐使を中止する。
923 延長1 筥崎八幡宮創建。
931 承平1 大宰府に命じて新羅に備える。警固所の名前が正史に出る。このころ博多大津に唐商が群集。
986 寛和2 宋商人大宰府にくる。
1005 寛弘2 大宰府に命じて宋商の居留を許す。
1019 寛仁3 刀伊の賊船が怡土、志摩を侵す。
1091 寛治3 鴻臚館で大宋商客が滞在したという史料がある。以後、鴻臚館の記録はない。
1161 応保1 清盛対宋貿易のため袖の湊を築く。博多の街はこれを中心に発達する。