中野正剛 年譜

西暦 和暦 できごと
1886 明治19 2月12日、福岡市西港町に生まれる。幼名甚太郎
1894-1895 〃 27-28 日清戦争
1897 〃 30 八幡製鉄所設置
1904-1905 〃 37-38 日露戦争
1905 〃 38 修猷館卒業(明治36年正剛と改名)
1909 〃 42 7月早稲田大学卒業。東京日日を経て朝日新聞入社
1911 〃 44 朝日に「朝野の政治家」連載
緒方竹虎、朝日入社
1912 〃 45 「明治民権史論」連載
1913 大正2 多美子夫人と結婚、京城特派員
1914-1918 〃 3-7 第一次世界大戦
1915-1916 〃 4-5 英国留学(数え30歳)
ヨーロッパ、アメリカを経て帰国
12月、朝日退社。東方時論主筆
1917 〃 6 衆議院議員立候補、落選
1919 〃 7 講和会議随行記者団でパリヘ
失望し、帰国。真相報告演説
1920 〃 9 衆議院議員当選(数え35歳)。以来、連続当選
猶興会発足
1926 〃 15 左脚切断
1929-1930 昭和4-5 浜口内閣政務次官(数え44歳)
1937 〃 12 7月7日、盧溝橋事件。日中戦争はじまる
1937 〃 12 東方会11名当選。訪欧。ムッソリーニ、翌年ヒットラーに会見し帰国
1941 〃 16 12月8日、太平洋戦争はじまる
1942 〃 17 翼賛会選挙に非推薦で立候補。最高点当選、東方会7名当選
大隈講堂で演説、「天下一人を以て興る」
1943 〃 18 戦時刑事特別法改正に反対。4月、東条内閣更迭の重臣工作をはじめるが失敗に終わる。6月、翼賛代議士会で鳩山、三木と幹部弾劾(茶坊主議会)
10月1日、東方会一斉検挙。25日憲兵隊で反軍取調べ、27日午前零時自害。享年数え58歳
1945 〃 20 8月15日終戦