No.52 「福岡の野鳥」

対談:平成2年7月

司会・構成:土居 善胤


お話:
野鳥研究家 城野 茂門氏
聞き手:
福岡シティ銀行常務取締役 野口 康見

※役職および会社名につきましては、原則として発行当時のままとさせていただいております。


夏の鳥

福岡の野鳥

司会

今日は博多の野鳥の話をお聞きしたいんです。羽のある鳥を博多に限定するのは無理な話でしょうか……。

城野

「博多鳥ごよみ」ですね。まず、夏から始めましょうか。初夏は「目には青葉山ほととぎす初がつお」の句で、まずホトトギス。最初に声を聞くのは5月20日過ぎ頃です。渡りの途中、夜空を飛びながら鳴く声を、聖福寺や舞鶴公園あたりで聞くことができます。
街路樹に「スズメねぐら」が見られるのも夏です。毎年決まった場所、たとえば警固の四ツ角のプラタナスの街路樹には、2000羽ぐらいが集まってきます。
博多のスズメと言えば、戦前、櫛田神社の大銀杏を大群がねぐらにしていました。7月15日の山笠の早暁、4時59分の1番発進の大太鼓と、湧き起こる大歓声に驚いて、数千のスズメの大群がいっせいに空へ舞い上がる。とても壮観で、今でも語り草になっています。博多出身の人形作家で人間国宝の故鹿児島寿蔵先生は、アララギ派の歌人でしたが、この情景を、

夏空のしらしらあけの銀杏より
万羽の雀たちし忘れず

と歌っています。

野口

スズメが歌に詠まれているのは、初めて知りました。

城野

そして、人と共存といえばツバメですね。今年は都心の天神にも2つ、西鉄福岡駅のコンコースと、イムズに抜けるガード下のところに巣をつくっていました。15年前には、岩田屋周辺だけで17個もあったんです。
ツバメは普通はヒナを4、5羽産むのですが、天神の巣のヒナは3羽くらいです。餌が少ない関係でしょう。都会は夜も明るいですから、その照明に集まってくる虫を捕ってヒナにやるために、夜の10時くらいまで餌を捕っています。天神のツバメは働き者ですよ(笑)。
ツバメは春、フィリピンから渡ってくるケースが多いんです。そして、お盆を過ぎる頃に街から移動し、若鳥はまだ未熟なので、伊万里のあたりの集合地で渡りの飛行訓練をする。そこには2万羽ものツバメが集まります。

野口

実は、焼鳥屋の軒先にツバメが巣を作っていて(笑)、そこでヒナを立派に育てている。店の旦那さんも大事に可愛がっているんです。

城野

鳥は多少、鼻つんぼなんですが、少し人間臭くなっている(笑)。第一、ツバメは巣を裏口に作らないで、必ず人が出入りする玄関口に作ります。これは、ヘビやネコやカラスやフクロウなど、いろいろな天敵から守ってもらうため、わざと玄関口に作るんです。
福岡駅のコンコースのツバメの巣。フンで肩を汚されたと苦情が駅長さんにくるので、15、6年前、巣を駅員が落としたことがありました。それなら、作り始めの時に落としてくれ、ツバメは他の所に移る。それよりも、下に受け棚をつけたらどうか、とお願いしました。このごろはきちんとしてある(笑)。駅長の申し送りになっているんじゃないでしょうか(笑)。
それからフクロウ科のアオバズクで、夜ホーホー・ホーホーと続けて鳴きます。

秋から冬へ

野口

秋になると渡り鳥が入れ替わりますね。

城野

秋が深まってくると、ホトトギス、ツバメ、アオバズクなどの夏鳥が南の方に帰る。入れ替わりに、北から冬鳥が渡ってきます。中でも1番目につくのはツグミ。それから、毎年10月6、7日頃、大濠公園にカモが来ます。ホシハジロという種類のカモです。私は「大濠のカモ番」と言われていて、マスコミからまだかまだかと連日電話がかかってきます。
都心の川に入って来る鳥では、福岡の市鳥に選定されているユリカモメがいます。別名〝みやこどり″で、在原業平(ありはらなりひら)が詠んだ、「名にしおはば いざ言問はむ 都鳥 わが思う人は ありやなしやと」の都鳥はユリカモメのことです。東京都が都の鳥に指定していますが、福岡でも多く見られます。
博多湾は、カモには恰好の冬越しの場所です。東には和白干潟があり、西には今津湾がある。両翼の干潟が、カモの越冬の食糧基地です。

野口

冬になると、よく鳥が庭に来ますね。

城野

寒さが厳しくなり、正月を過ぎる頃から、山の鳥がどんどん街に来ます。ツグミヒヨドリレンジャク。レンジャクは頭に飾り毛があって、福岡市の木であるクロガネモチの赤い実などを啄(ついば)みに来ます。
メジロが天神の街路樹に来るのも冬の終わり頃です。こんな場所の、ほこりだらけの木の実をエサにしなければならないのかと、哀れになってきます。
春になると、巣作りのシーズンで、ツバメやスズメは人家の近くに巣を作ります。

都市化御三家

野口

カラスもこの頃では都市の鳥ですね。

城野

「都市化御三家」の筆頭はカラスです。非常に知恵のある逞しい鳥で、KBCの鉄塔やあちこちの広告塔の看板の内側の鉄骨に巣を作っています。
それからヒヨドリ。今は1年中どこにでもいる鳥になっていますが、実は九州では冬の鳥なんです。このごろは、移動をしない博多生まれのヒヨドリが世代を重ねて市内で繁殖しています。
もう1つはキジバト。一般にはヤマバトと呼ばれます。この鳥が岩田屋の前の街路樹に巣を作ったりしています。
それに次ぐのがゴイサギです。グレー色のずんぐりしたサギで、東中洲の川縁(かわぶち)のネオンの広告塔の灯りに魚が集まって来るんですが、それを待ち受けて、いわゆる〝いざり火漁″をしている。これも鳥の都市化現象でしょう。
最近は非常にサギが多い。那珂川や都心部の水辺で見られるのは、シラサギの中でも1番小型なコサギです。
さて、秋には、大陸から渡ってくるハクセキレイ、博多でいうイシタタキが見られます。

野口

しっぽが長くて、ひょこひょこと河辺の石を叩いているような動きをする白いスマートな鳥ですね。

城野

これも、人間の作った構築物にねぐらを作ります。東中洲の明治生命ビルの屋上の広告塔に1,500羽くらいのねぐらがあり、渡辺通りの西日本新聞からちょっと南の星野ビルの前のホルトの木に500羽くらい、西新の百道パレスの前の銀杏の木にも2,300羽います。
ねぐらに帰ってくるそのハクセキレイを待ち構えているチョウゲンボウというタカがいる。すると、ハクセキレイ数百羽が舞い上がって、チョウゲンボウの回りを飛び回って威しをかけます。前後左右から急降下をしたり、下から追い上げたりするんです。タカがついに手も足も出せず、立ち去ってしまう。つまり、強い者に対して集団デモンストレーション、動物行動学の言葉でいうモビングをするんですよ。
それから、百年橋の桁(けた)にイワツバメが集団で巣を作っています。今、30くらい巣がありますが、あれほど交通量が多くて振動も激しい橋の下なんですが、1番安全だと思っているんでしょう。コロニーと呼ばれる集団で巣を作る習性を持つ鳥です。
このイワツバメは、JRの二日市駅を中心に500羽くらいいる越冬ツバメが昔から有名で、それが、次第に下流の方に下ってきて、百年橋でもここ1、2年は20羽くらいが越冬しています。温暖化で、冬でも餌の虫がいるからですが、どうも、何千キロもつらい旅をするよりも、ちょっと寒さを我慢すればいいというずぼらなツバメがいて……(笑)。

野口

都市化の1つですね。

城野

人間と利害が相反して問題になっているのがドバト。ハト公害ですね。最近はベランダに金網を張ったりしていますが、人間の方が網の中に入らない限り防ぎようがありません。餌をやらない、巣を作らせない、この2つをしっかりやれば、自然淘汰されるんです。でも、巣を作らせないというのはまず不可能で、都市高速道路の裏側だけでも、何百万個も巣を作れるだけのスペースがあります(笑)。

野口

街の鳥・山の鳥の棲み分けは……。

城野

昔はきちんと棲み分けをしていたんです。ところが最近では、鳥たちの方が都市化して、適応力を見せていますね。

名前を10言えたら初級ライセンス

野口

博多が鳥たちに恵まれた環境なんですね。

城野

博多の立地を我々はクロスロードと呼んでいます。朝鮮半島から海峡を渡って来る鳥、日本海を南下してくる鳥、日本列島を北から南下してくる鳥、そのコースがちょうど博多あたりで重なるため、鳥の層が濃くなるのです。それに、今津・和白の両干潟があります。人間はウォーターフロントといいますが、鳥にとっても同様で、非常に棲みやすいわけです。
だいたい鳥類図鑑に載っている鳥の種類が550種で、福岡県内でだいたい320種、福岡市の中で290種記録されています。日本にいる鳥の半分以上が福岡市内で観察記録されている。100万人以上の大都市でこれだけ鳥が観察されているというのは、あまり日本では例がないと思います。

野口

普通、私たちは鳥の名前をどれくらい知っていたらいいでしょうか。

城野

初級が10種類です(笑)。それくらいはと皆さんは言われる。まず、カモとおっしゃいますが、カモは総称でカモという鳥はいません。カラスも同じで、ハシブトガラスハシボソガラスミヤマガラスの3種類。 ワシという鳥もいない。オジロワシイヌワシ

野口

それは難しい(笑)。

城野

正しい鳥の名前を10種類以上言えたら、初級のライセンスがもらえます。スズメ、ツバメは問題ないとして、トビ、メジロ、ウグイス…そのあたりで、詰まってしまうんです。でも、最初の10種類を確実に覚えれば、15、20は簡単にいけますよ。ところで、博多の鳥の数え歌というのがあります。「一つヒヨドリ、二つフクロウ、三つミミズク、四つヨタカ、五つイシタタキ、六つムクドリ、七つ渚のハマチドリ、八つヤマドリ、九つコウノトリ、十トッチャン尻やけトンビ」
この中には俗名が相当あります。ミミズクはアオバズクです。ヨタカは夜行性でハトくらいの大きさ、タカの種類ではない。夜になるとふわふわとあやしい感じで飛ぶので、江戸時代の街娼の俗名にされています。5月下旬頃来る渡り鳥です。複雑な渋い色をしていて、鳴き声はまな板できゅうりを連続して刻むような声です。
イシタタキはセキレイ。ハマチドリは千鳥を総称したものです。ヤマドリは、キジによく似た尾っぽの長い鳥で、コウノトリは絶滅しています。兵庫県が県鳥に指定していますが、「幻の県鳥」ですね(笑)。

野口

数え歌で身近な鳥を歌い込めるくらい、博多にはいろんな鳥がいたのですね。

城野

それは万葉時代からです。大友旅人が草ケ江のあたりを詠んだ歌があります。
「草香江之 入江二求食 蘆鶴乃痛多豆多頭思 友無二指天 (くさがえのいりえにあさる あしたづの あなたづたづし ともなしにして)<巻第四・五七五>」
草ケ江のあたりの入江の名残が、大濠公園のあの一帯の水辺ですが、そこにが来ていたということです。
志賀中学の校庭にも万葉歌碑があります。詠み人はわかりません。かしふ江とは香椎のことです。
「かしふ江に たづ鳴き渡る志賀の浦に 沖つ白波 立ちしくらしも」
香椎の水辺に鶴が鳴きながら舞い渡っていると、それに呼応するように沖の白波が幾重にも立っている、というような形容です。

野口

鶴と言えば、舞鶴城も……。

城野

はい。福岡城のことを舞鶴城と言いますね。城の築かれたあたりから展望すると、志賀島がツルの頭で、海の中道が細首で、手前の湾内に翼を広げている形に見えるからだと言われています。

話題となったイワミセキレイとメジロガモ

城野 茂門氏

野口

珍しいお客さんも……。
が、新しい発見は。

城野

南公園の近所にお住まいの主婦の安西美智代さんは熱心なウォッチャーで、南公園でイワミセキレイを発見されました。昭和47年のことです。この鳥は、日本では迷鳥として過去にも報告例の少ない鳥です。それの巣を発見し、ヒナまで確認されたのです。

城野

博多は鳥のクロスロードですから、記録でもいろんな珍しい鳥が来ています。昭和6年の12月18日、今津村(今の今津)に、ペリカンが1羽飛んで来ています。ペリカンは日本の鳥名ではガランチョウ(伽藍鳥)といい、捕獲されて市の動物園で3ヵ月くらい生きていたそうです。
昭和46年の朝日新聞に箱崎の埋め立て地に飛来した1羽のペリカンの投稿写真があります。徳川時代に飛んで来てつかまった絵図も残っており、フィリピンあたりから台風に巻き込まれて来た迷鳥なのでしょう。

野口

先生の発見は。

城野

平成元年の冬、私が自転車で平和台の野球場の前の堀を通りかかると、妙なカモが目の前にいる。メジロガモかもしれないと、とりあえず新聞社に写真を撮ってもらいました。

野口

たいへんな発見でしたね。

城野

それが全国に広まって、ワッと人が集まった。翌日から千ミリの望遠レンズがずらっと並んでいる。ウォッチャーというのは鳥の観察が好きな人ですが、もう1つバーダーという言葉があって、「鳥人」という意味でしょうか、これは完全に鳥キチ(笑)なんです。そういう連中が全国からライトバンに機材を積んでわんさとやって来た(笑)。大騒ぎになったのですが、メジロガモは、1959年に、千葉県の宮内庁の御料地で1羽記録されているだけだからなんです。
そのうちに、あれは混血種だという異説が出てきました。こんな時、鳥の世界でも、たいてい声の大きい方が勝ちのようで…(笑)。だから、私はハカタメジロガモという名前を自分でつけました(笑)。

野口

日本野鳥の会などは……。

城野

写真を送っているんですが、それだけでは決めようがありません。今でこそ野鳥の会の会員が増えて、珍鳥を写真で発表していますが、昔は、新種を発見すると鉄砲で撃ち落として、それを鳥学者に送って、同定してもらったんです。学者のお墨付きをもらわないと、学会に発表できなかったんです。

野口

鳥類学者といえば、黒田の殿様が有名でしたね。

城野

ええ。黒田長礼(くろだながみち)さんは鳥類学者で、日本鳥学会の会頭でした。昭和53年に89歳で亡くなられています。
東大の理学部の動物学専攻で、若い頃宮内庁の主猟官を務められ、外国のお客様を接待するため鴨猟の御猟場の取り仕切りや、鷹狩りのための鷹の飼育なども研究監督しておられました。
羽田飛行場ができる前は、そこに黒田家の非常に広い鴨場がありました。長礼さんのご長男の長久さんも、現在鳥学会の会頭や日本野鳥の会の会長をされています。

本当の仏法僧は

城野

在野の研究家では、安部幸六さんという方がいます。中央区の桜坂に住んでおられました。福岡師範学校を出てしばらく農学校の先生をされ、大正8年に狩猟法ができて、狩猟関係の役人になられました。これは県保安課の技手という仕事です。昭和36年に80歳で亡くなられましたが、この方が、福岡のアマチュアの大先達です。
安部さんの1番の功績は、ブッポウソウという鳴き声を夜の英彦山で聞いて、この鳴き声はフクロウの仲間のコノハズクだと、民間で最初に指摘されたことです。
ちょっとややこしいんですが、鳥類図鑑に載っている仏法僧という鳥がブッポウソウと鳴く、というのが従来からの常識でした。
両方ともだいたい同じ環境にいるのですが、昼行性の仏法僧は姿もきれいだし、非常に神秘的な鳥です。しかし、ギャーギャーという、似ても似つかぬ汚い声で鳴く鳥でした(笑)。
安部幸六さんはこの発見を東京の黒田さんに知らせました。黒田さんもその頃、浅草の傘屋さんが飼っているコノハズクが、毎晩ブッポウソウと鳴くということを聞いて、鳥カゴを借りて来て自分の耳で確かめて学会に発表しました。これが飼鳥での確認です。
野外での確認は、山梨県の県庁職員の中村幸雄さんという方が、闇の中でブッポウソウと鳴いている鳥めがけて鉄砲を撃ってみると、落ちてきたのはコノハズクでした。だから、手にとって野外で初めて確認したのは、この中村さんなんです。思わずその時に、天皇陛下万歳!と叫んだ、というのが鳥仲間の神話として語られています。
以上が全部昭和10年です。最初の疑問を投げかけたのは安部さんで、声を自分の耳で確認したのは黒田さん、手にとって確認したのは中村さんということになります。
それから、チョットコイと鳴くコジュケイという鳥がいますが、あれは中国の南部から輸入した帰化鳥で、大正13年、安部さんが狩猟官の時に農林省からもらい受けて、県下に放鳥したのがルーツです。大正7、8年頃に三菱財閥の岩崎家で飼っていたコジュケイが、青山一帯で大繁殖したので、この鳥は狩猟鳥にいいのではと、各地に種鳥を分けたんです。

庭によく来るお客様

野口

子供の頃、よくメジロをとっていましたね。

城野

メジロは保護鳥で、今飼うには許可がいりますが、私の子供時分は、メジロを獲って飼うということは、子供の遊びの通過儀礼のようなものでした。カゴを自分で作り、声を競わせ、いいメジロを持っているというのが、1つの勲章でした。

野口

今、普通の家にもよく鳥が来ますが、どんな鳥がいるんでしょう。

城野

庭の鳥というと、初冬から春にかけて連日私の家に電話があります。今うちの庭に鳥が来ていますが、何という鳥でしょうかと。電話ではわかるはずがない(笑)。それで、まず「ものさし鳥」を決めて大きさを聞きます。スズメに比べてとか、ハトに比べてとか、そうすると、だいたい見当がつくわけです。次が色と身体の特徴です。鳴き声は口写しでは伝わりにくいので、まず大きさと特徴ですね。
よく登場するのはジョウビタキです。胸のところが柿色で非常にきれいで、肩のところに白い紋があり、ヒョコヒョコ頭を動かしていませんかと聞いてみて、そうですという答えなら、十中八、九ジョウビタキのオスですね。ただ、決めてしまってはいけないので、お子さんの図鑑などで確かめてくださいと言います。
それから中型の鳥では、ツグミとかヒヨドリ、地面に降りるアオジなどですね。メジロ、ウグイスはこのごろは普通に入ってきます。餌台を作ってやるとなおさらです。モズキジバトシジュウカラ、このあたりが庭に入ってくる常連で、季節的に木の実があると、キレンジャクヒレンジャクという2種類のレンジャクが集団でドカッと入ってきます。
庭にコケを植え込んだら、鳥がむちゃくちゃにしたという電話もあります。これはシバカキという別名を持つシロハラという鳥で、その名の通り枯落葉を足で掻き分けて、その中にいる虫を捕って食べるんです。
よく苦情がくるのがゴイサギです。夜陰に乗じて、池に飼っている育ち盛りの14、5センチの鯉を捕って食べてしまうんです。
そんなふうに、鳥情報のアドバイスも忙しいのですが、おかげで市内の鳥情報がいながらにして手に入る。私は自分で「電話探鳥」と名付けています。愛鳥週間の前にはこれらの情報をストックしておいて、毎年マスコミに教えてあげています(笑)。

野口

マスコミも大助かりですね。

城野

最近はテレビ会社から、鳥の絵を撮りたい、どこへ行ったらいいかと、よく聞かれます。映像時代ですね。
問題なのは、巣で親鳥がヒナに餌をやっているような決定的な瞬間の写真を撮って、一発当ててやろうという人が多くなったことです。

野口

そうすると親鳥が帰って来ない。

城野

ですから、うかつに言えません。私が1番気になる写真は、鳥の巣のヒナの写真です。親鳥は人間がいて怖いけれども、ヒナかわいさに戻って来ます。それを、フラッシュで撮るんですから、いい写真が撮れて当たり前です。しかし、親鳥は、ショックで給餌をしなくなる場合が多い。危険だと思ったら卵を捨ててしまったり、別の所に巣を作って卵を産み直すんです。だから、羽毛の1枚1枚までよく撮れていても、愛情からは遠い。愛鳥家の写真とはいいませんね。そういう写真の相談だけは絶対に断ります。

木化け石化けがマナー

野口

バードウォッチングで身近な道具としては……。

城野

まず、8倍から10倍程度の双眼鏡ですね。オペラグラスのような小型のもありますが、やはり、本格的な見え味のいい物の方がいい。子供の運動会などにも使えますし。 倍率が大きくなると重くなり、視角も狭くなる。だから、8倍から10倍くらいが持ちやすいし、使いやすいですね。

野口

カメラですが望遠レンズは……。

城野

一般には手持ちがきく300ミリですね。これで、結構いい写真が撮れますよ。それ以上になるとぶれるので三脚がいります。
鳥を見る基本は「木化け、石化け」です。山に行くと木に化けろ、石に化けろというんです。鳥が木か石かと思うくらいじっと待っていると、鳥の方から近付いてきます。

野口

服装で注意することは……。

城野

あまりキラキラしたものや、音がする持ち物は避けた方がいいですね。それから、鳥がきまって水を飲みに来たり、水浴びに来る水場があります。そこを1度見つけると、もう動かなくていい。次から次にいろんな鳥が来るので楽しいですよ。ここは、仲間にも教えません。写真を撮る人には、フラッシュをたきますから、特に教えられませんね。
ウォッチングの心得は、「追うよりも待て。鳥との距離は鳥に決めさせろ」これに尽きます。いくら目のいい人でも、鳥の方が先に人間を見つけている。バードウォッチングなんていっていますが、つねに鳥からウォッチングされているんです(笑)。
最近は、イメージ時代で、野鳥が都市の自然度のものさしになっています。海を持ち、山を持っている福岡市の市鳥は、水辺のユリカモメと山野のホオジロです。ユリカモメは、冬になってくると、どんどん市街地の川などに入ってきます。大濠公園でカモにパン屑を投げると、空中でユリカモメに取られてしまいます。
映画で見ましたが、北欧の街で女の子がパン屑を持った手を上げると、カモメがさっと取っていく。福岡のユリカモメは、手からはまだ取りません。

野口

サンフランシスコのゴルフ場で、ゴルフバッグにハンバーガーを入れておいたんです。カモメがバッグを開けてそれを取る。驚きましたね。

城野

外国にはトウゾクカモメと名がついたカモメがいて、他の鳥がエサをくわえて運んでいるのを襲って、吐き出させて取るんです。

メジロの鳴き声は長兵衛、忠兵衛、長忠兵衛

野口 康見

野口

ホオジロはどんな鳥ですか。

城野

スズメよりちょっと大型で、一般的に野山の開けた所にいます。その名の通りほっぺたが白くて、鳴き声が「一筆啓上つかまつり候」といい、「おせん泣かすな馬肥やせ、今度の便りに金十両」と続きます。これを「聞きなし」といいます。鳥の鳴き声に言葉を当てはめて覚えるという、日本人の生活の知恵ですね。テープレコーダーも何もなかった時代に、鳥の声を伝える方法だったのです。
ウグイスのホーホケキョウは「法法華経」だし、メジロは「長兵衛忠兵衛長忠兵衛」で、人の名ですね。それからヒバリが「日一分日一分、月二朱月二朱、利取る利取る」。分と朱は昔のお金の単位で、利子を取るということです。
センダイムシクイというウグイスの仲間の鳥が、以前コマーシャルにもなった「焼酎一杯グイーッ」。それからホトトギスの「てっぺんかけたか」。糸島の方では「みよちゃんかかさん」。ツバメはめったに鳴きませんが、「土食うて虫食うて口渋い」。繁殖に入る前に雄が雌を励ますために鳴く声です。
私は宗像の生まれですが、フクロウの声は、「トロッコトウトウ鼻くそ食わそ」といいました。それを佐賀の方では「こうぞうかりくそ食うか」など、なぶり言葉の聞きなしもあります。
それから、やはり鳥となじむ方法の1つは、まず名前を覚えることです。せっかく庭に来る訪問者なんですから、せめて、スズメと違う鳥、じゃなくて名前を覚えてほしいですね。

野口

そもそも、先生と鳥との結びつきは……。

城野

少年の時、藪の中で鼻先に出てきたウグイスとの出会いですね。その真黒な瞳を間近に見た感動が、鳥に魅入られるようになった始まりです。
そして、間に戦争があり、帰って県庁に入って税務課配属でしたが、どうも私の性格には合わない。それで日曜日に山歩きをして鳥を探す。そのうちに誰かが、カメラをかついで鳥を探している変な税金屋がいると言い始めたことから、県庁の記者クラブから情報を取りに来るようになって、「野鳥番」になってしまいました。
それから、図書館があって勉強ができるので、希望して県の文化会館に変えてもらいました。ちょうどオリンピックの前の年です。今は年金生活者ですから、年中日曜日でいつでも探鳥できます。

野口

先生がご本『暮らしの中の野鳥記』を出されたのは、鳥に魅せられて何年目ですか。

城野

10年目くらいですね。

野口

文章もさらさらと大変名文で……。評価も高かったでしょう。

城野

いえいえ。でも、何か書いてくれとよく言われます。2年間毎日新聞に連載した「暮らしの鳥ごよみ」は、週1回写真入りで、ずいぶんたくさんの人が読んでくださって、お手紙もたくさんいただきました。

野口

で、先生のお好きな鳥を1つ(笑)。

城野

みんなと言いたいところですが、実はヒヨドリなんです。巣から落ちたヒナを持ち込まれて、苦労して家内と2人で育てたんです。ところが、ある夜、お客さんがたくさん来て騒いだのを怖がって、飛び出しましてね。夜が明けると公園の木の枝にいるのが見える。家内が呼んだら近寄って来たんですが、そこをのら猫が狙っていて飛びつきました。
そのままからみあって地面に落ち、夢中で猫を追っ払って取り戻したんですが、右側の肩の骨が砕けて、少ししか飛べません。一生面倒を見てやらないといかんと思って、その十字架を背負って暮らしています。
このごろの心境は、いくら鳥好きでも「鳥キチガイ」になってはいけない。鳥だけをピックアップするんじゃなくて、鳥も人間も一緒に包みこまれた自然を大事にしようじゃないかということです。このごろは、鳥を通して地球を考えるという、大変大きなテーマに取り組んでいます。

司会

非常に興味深いお話を、本当にありがとうございました。

  • ※「暮らしの鳥ごよみ」は平成3年に、海鳥社から出版されました。

城野茂門氏 略歴

大正9年宗像郡福間町に生まれる。県立宗像中学を3年で中退、英領シンガポールに渡航商業に従事。帰国後兵役。ビルマに従軍。復員後福岡県税務課に勤務。福岡県文化会館(現県立美術館)普及課長。退職後野鳥の観察を通して、自然保護思想啓蒙を志す。著書『暮らしの中の野鳥記』ほか平成8年11月逝去。享年76歳。