檀一雄 年譜

年代 西暦 年齢 事項
明治45年 1912 0歳 檀参郎・トミの長男として、父の任地、山梨県南都留郡谷村町に出生。
大正5年 1916 4歳 東京(谷中)から久留米へ。妹三保出生。
6年 1917 5歳 父の転任により、福岡市鳥飼に住む。妹寿美出生。
7年 1918 6歳 福岡県三井郡国分男子尋常高等小学校に入学(現、久留米市)。
8年 1919 7歳 父の転勤先栃木県足利尋常高等小学校に転校。
9年 1920 8歳 国分村の小学校に転校。妹久美出生。
10年 1921 9歳 足利尋常小学校に戻る。母トミ、寿美を連れ出奔。
12年 1923 11歳 この年より夏休みと冬休みに、妹たちが預けられている福岡県柳川の沖端の家への帰省が慣わしになる。
13年 1924 12歳 足利尋常小学校卒業。県立足利中学校(旧制)入学。
昭和3年 1928 16歳 足利中学校卒業。福岡高等学校(旧制)入学。
7年 1932 20歳 福岡高等学校卒業。東京帝国大学経済学部に入学。
8年 1933 21歳 母トミと再会。太宰治を知り、佐藤春夫の門弟となる。
9年 1934 22歳 坂口安吾、中原中也を知る。
11年 1936 24歳 「夕張胡亭塾景観」で第二回芥川賞候補。
東京帝国大学卒業。
「花筺」を文藝春秋に発表。旧、満州地区放浪。
12年 1937 25歳 「花筺」出版予定日に、日華事変初の動員令により
久留米独立山砲兵第三聯隊に入隊(15年、召集解除)。
17年 1941 29歳 5月、高橋律子と結婚。東京石神井公園の池畔に居住。
16年より短編、詩作多数。
18年 1943 31歳 長男、太郎出生。
19年 1944 32歳 報道班員として中国戦線へ(7月~翌20年5月)
20年 1945 33歳 8月15日終戦。腸結核の妻、律子を連れて
福岡県糸島郡西浦村小田(現、福岡市)に疎開。
21年 1946 34歳 4月、妻、律子病死。山門郡東山村の善光寺に仮寓。
11月、与田準一の紹介で、山田ヨソ子と結婚。
22年 1947 35歳 眞鍋呉夫、北川晃二らと劇団「珊瑚座」を設立。
23年 1948 36歳 太宰治死。東京都練馬区南田中に居住。
この年より「リツ子」連作を「人間」「改造」「群像」などに発表を始める。
25年 1950 38歳 「リツ子」連作を完成『リツ子・その愛』『リツ子・その死』を刊行。次男、次郎出生。
練馬区石神井へ転居。
26年 1951 39歳 「長恨歌」「真説石川五右衛門」により、第24回直木賞受賞。
南氷洋捕鯨船団に参加(12月~翌27年4月)
28~29年 28年、三男、小弥太出生。29年、長女ふみ出生。
30年 1955 43歳 坂口安吾死。次郎日本脳炎に。「誕生」発表。
この作品は「火宅の人」の第一章「微笑」の一部となる。
31年 1956 44歳 次女、さと出生。「火宅の人」矢島恵子のモデル
新劇女優入江久恵と出奔。「夕日と拳銃」東映映画に。
33年 1958 46歳 アメリカからヨーロッパへ(10月~翌34年4月まで)
36年 1961 49歳 「火宅の人」第一章の「微笑」を「新潮」に発表。
以後41年8月まで、各誌に発表。
37年 1962 50歳 自宅へ帰ることが多くなる。
38年 1963 51歳 「火宅の人」の連作8篇を「新潮」へ。
39年 1964 52歳 師、佐藤春夫死去。ソヴィエト旅行。次郎死す。
41年 1966 54歳 「火宅の人」の連作「有頂天」を「新潮」へ発表
(44年1月まで中断)。
42年 1967 55歳 オーストラリア、ニュー・ジーランドへ。
43年 1968 56歳 季刊文芸誌「ポリタイア」創刊。
44年 1969 57歳 「火宅の人」2年5ヶ月ぶりに連作執筆を、再開。
45年 1970 58歳 ヨーロッパ、ポルトガルのサンタ・クルスに滞在。
(11月~2年後の47年2月まで)。
48年 1973 61歳 体の不調をうったえだす。
49年 1974 62歳 7月、福岡市能古島に「月壺洞」を購入し移住。
50年 1975 63歳 二日市の柳沢病院に入院。6月九州大学病院に転院。
肺ガン腫症の診断。「檀一雄詩集」刊行。
「火宅の人」最終章を口述し完結。
51年 1976 64歳 1月2日死去。法名、檀林玄遊居士。
「火宅の人」に読売文学賞、日本文学大賞。
52年 1977 能古島の思索の森入口に文学碑建立。檀一雄全集発行。