原田大六 略年譜(年齢は数え年)

年代 西暦 年齢 事項
大正6年 1917 0 1月1日、福岡県糸島郡前原町に出生。父 猪之助、母 ユクの長男。前原小学→雷山小学校卒
昭和4年 1929 12 福岡県立糸島中学校入学。安河内隆教諭の影響で考古学にとりつかれる。教諭と「糸高郷土博物館」の基礎をつくる。
9年 1934 17 糸島中学校卒業。翌10年上京、津上製作所に就職。
13年 1938 21 福岡二十四連隊入隊。中国東北部(旧満州)へ渡り、昭和20年華南衡陽で敗戦。21年、復員し前原町に居住。
22年 1947 30 中山平次郎博士に師事。
24年 1949 32 糸島郡怡土村石ケ崎で支石墓を発見(現存する最初のドルメン)。
26年 1951 34 朝倉郡三奈木村の遺跡、遺物を調査。「三奈木歴史館」を整備。
27年 1952 35 糸島新聞に「天皇の故郷」を連載。糸島郡前原町志登で志登支石墓群を発見。「福岡県石ケ崎の支石墓を含む原始墓地」が『考古学雑誌』の巻頭論文に掲載。
29年 1954 37 福岡県宗像郡の「沖ノ島調査団」の調査委員となり遺跡の発掘調査に従事。「天皇の故郷」を改稿した『日本古墳文化─奴国王の環境─』を出版。
30年 1955 38 宗像郡沖ノ島の調査隊長となる。
31年 1956 39 3月28日 原田イトノと結婚。恩師中山平次郎博士逝去。沖ノ島の第二次発掘調査に従事。
33年 1958 41 報告書『沖ノ島』宗像神社復興期成会より刊行。沖ノ島第二次第二回発掘調査に従事。
36年 1961 44 報告書『続沖ノ島』刊行。日本考古学協会会員に推薦。
38年 1963 46 『磐井の叛乱』出版。
40年 1965 48 2月1日福岡県糸島郡前原町有田で平原弥生古墳を発見し調査主任として緊急調査。出土の鏡を復元。シンナー中毒で鏡復元と執筆を中断。禁酒、禁煙。
41年 1966 49 『実在した神話』出版。
44年 1969 52 5月「伊都国王墓展」を博多井筒屋で夕刊フクニチ新聞社と共催。三笠宮ご夫妻を展覧会と現地に案内。『邪馬台国論争』出版。
45年 1970 53 自宅に「平原遺跡出土品復元室」を建設。
46年 1971 54 3月 岡山・滋賀・奈良・京都へ妻イトノと万葉の旅。
48年 1973 56 『万葉集発掘』、『新稿磐井の叛乱』出版。
49年 1974 57 『万葉集点睛』巻一(上)出版。伊都国発掘調査指導委員長に選ばれる。
50年 1975 58 前原町文化功労者として表彰。『万葉集点睛』巻一(下)、『邪馬台国論争』上・下、『新稿磐井の叛乱』、改稿『日本古墳文化』、『日本国家の起原』(上)を出版。第二次伊都国発掘調査指導委員長に再選。伊都国第二次発掘開始。
51年 1976 59 『日本国家の起原』(下)出版。「原田大六先生後援会」(会長・友納健氏)発会。『原田大六論』出版。
52年 1977 60 『卑弥呼の鏡』出版。(79年再版)
53年 1978 61 『雷雲の神話』出版。「西日本文化賞」を受賞。
55年 1980 63 『銅鐸への挑戦』出版。
59年 1984 67 『阿弥陀仏経碑の謎』出版。絶筆「悲劇の金印」執筆。
60年 1985 68 5月27日逝去。享年68歳。伊都国歴史資料館名誉館長を追贈。