No.8 門司港レトロ

対談:平成6年10月

司会・構成:土居 善胤


お話:
北九州市長 末吉 興一氏
聞き手:
福岡シティ銀行 頭取 四島 司

※役職および会社名につきましては、原則として発行当時のままとさせていただいております。


レトロ大正ロマンへの回想

門司の歴史

門司港全景と下関・関門橋

四島

この頃はカタカナ過剰で、ちょっとどうかなと思うことが多いのですが、日本語では感じの伝わらない言葉もあって。レトロはその代表ですね。

末吉

フランス語のr(eの上に~)troで、辞書をひけば回顧調とか復古調ですね。しかし回顧や復古では、レトロの持つ情感が伝わってこない。

四島

先日のテレビで、16歳から日本に住みついて、日本語で小説を書いているアメリカ人のリービ・英雄さんが言ってましたね。世界で一番美しい言葉はフランス語だと言われているが、日本語の表現のほうがはるかに奥が深いし美しいと。嬉しい話ですが例外もあって、レトロを回顧と言ってもピンとこない。やはりレトロでないと…。

末吉

日本語の情感を外来語に移入する事も日本人は上手で、漢字を消化して固有のカナをうみだしている。日本語の幅の広さでしょうね。レトロも情感では、もうすでに日本語ですよ。

四島

最初から言葉論議になってしまって(笑)。レトロは口の中で*芳香がひろがる甘っぽいサイダーの味ですね。頑固だがハイカラで、祖父や父が過ごしたよき時代への回想でもあって……。

末吉

そうですね。レトロはついちょっと前の私たちの先輩が、日常に吸収し身につけていたダンディズムへの回想なんですよ。海外との交易、文化の交流を、戦前の門司は見事にやっていた。それもせいぜい半世紀の間に。“回顧”すれば(笑)、すごいことですね。

四島

と、おっしゃって、ダンディズムやハイカラに郷愁を。お互いに大正ロマンへのあこがれなんですね(笑)。そう言えば、市長さんは言葉を活かした発想がうまい(笑)。市政展望の軸がルネッサンス構想で、門司がレトロめぐり、海峡めぐりですね。今日、門司港駅から大正ロマンの建物を見て歩いて、レトロ構想がうなずけましたよ。

海峡都市門司

中野金次郎氏

四島

レトロを身近に感じましたが、その発想はインスピレーションで。

末吉

そう言われると困るが…(笑)。市長に立候補するとき、北九州市内をくまなく歩いて考えたのです。北九州市は工業、流通、海運、歴史、文化、そのそれぞれを旧五市が分担しながらうまく連携してきたが、ここらで視野をひろげて、新しい風で、さらに大きなハーモニーをと。

四島

文化ゾーン、歴史ゾーン、産業ゾーン、レトロゾーンと住みわけを活かしてのハーモニーですね。それで全体を活きかえらせるのがルネッサンスだと。

末吉

まあ、そういうことです。それで門司を考えてみると、磨けば光る大正ロマンの宝が埃(ほこり)をかぶったままで再生の日を待っている。ああ、レトロ新生だな、これでいこうと。

四島

私も今日、自分がタイムマシンでよき時代のロマンにひたっているのを感じましたよ。

末吉

レトロで連想するのは、北から小樽、函館、横浜、神戸、門司の開港都市ですね。そして門司だけが戦後の繁栄から取り残されていました。しかし、それが幸いしたかもしれない。和布刈(めかり)一帯は、瀬戸内海国立公園だから乱開発されないでいたし、海峡都市の魅力がある。だから、門司の再生はこれからです。

四島

なるほど、レトロ感覚の海峡都市ですね。

末吉

そこで、かつての世界都市・門司の復活だから、新生プランは世界の英知をあつめるべきだと思いましてね。建築物でいいなと思っても、ときどき世界のどこかに原型があったりするでしょう。それでは困る。それで思い切ってアメリカの都市計画の専門コンサルタント会社に、レトロプランをたのんだのです。

四島

面白いですね。

末吉

門司港のレトロを活かすオリジナルをとたのんだが、できあがってきた計画書を見て、いや、驚いた(笑)。奔放に、海を掘り、あるいは埋め、建物を勝手気ままに動かしている。そのままではとても採用できないが、頭の切りかえにはずいぶん役立った。船だまりの活用、歴史的な建造物の保護、アクセスの整備、臨港線を観光用になどのアイデアはとても貴重で、レトロの計画に自信がもてましたよ。

四島

先端のアドバイスに国境はありませんからね。

関門県と『海峡大観』

末吉

そして今度は大正ロマンのすばらしい助っ人があらわれたのです。それがこの本です。大正14年発刊の『海峡大観』です。標題がいいでしょう。著者の中野金次郎さんは炭鉱や海運で活躍されて陸送に転じ、日本通運の前身の内国通運や、興亜火災海上保険を設立された方です。先見のある方で、門司商工会議所の会頭のとき、海峡研究所を主宰して、歴史と文化をふまえながら関門繁栄の方策を展望されている。このとき、氏は44歳。実に卓論、すばらしい本です。魂消(たまげ)たのは、大正時代に五市合併を提唱し、さらに下関と一つの行政になること。そのためには、いまの行政区画ではどうしようもないから、関門県をつくるべし、と。実に大胆な着想で、論旨が整然としているんです。

四島

ちょっと見せてください。文語体ですが、平明で読みやすいですね。

末吉

さわりの所を読みましょうか。まず対岸の下関と彦島と長府は合併して一大市の出現が必然として、「北九州に門司、小倉、八幡、若松の四市恰(あたか)も巨人の行列するが如くに、海岸に沿うて展列す。(略)(註 戸畑の市制は大正14年から)かくの如く幾多の都市が一線に展列するの光景は(略)これ則(すなわ)ち北九州工業地帯の繁盛なり(略)。然(しか)れども市の櫛比(しっぴ)せる行列は全然無意義なり(略)一個の市とならずんばある可(べ)からず(略)。此(ここ)に於てか、北九州の行列市は、すべて併合、融合せられて、一大都市となるべき運命を有するものなり。唯(た)だ、その時期が問題なりと雖(いえど)も、必ずしも遠き未来にあらざるべきは疑いなきなり」。

四島

この本は大正の終わりごろ、昭和の1年前の大正14年の発行ですね。五市の合併が昭和38年だから、それを38年前に予見して…。

末吉

さらに海峡都市の提唱です。海峡をはさんだ南北の二大市は、経済上、交通上、いっそう緊密になるので統合するのがいいと。

四島

北九州市と下関市を一つにして海峡都市にと、スケールの大きな発想ですね。

末吉

しかし、海をはさんでそれぞれに県が別では実現が難しい。だから二つの海峡都市とその背後をあわせて、新しい行政区を創立すればよいとして、「此(こ)の新しき意義ある行政区の名を予想するは、やや理想的に馳(は)するものあるべしといえども、試(こころ)みに、これを海峡府、または関門県の名を以(もっ)てせば、妥当なるべしと思ふ。吾等の理想とする海峡統一の実現は、かくの如くにして行はるべし」と述べています。

四島

海峡府、関門県ですか。気宇壮大(きうそうだい)ですね。ときおり論議される九州を統合した九州道の構想にユニークさではひけをとらない。

関門はひとつ

末吉

この本は市長当選祝いに友人が見つけて贈ってくれたのですが、展望の広大さでいつも励まされていて、座右に離せない本になっています。

四島

巻頭に当時の財界の大物の郷誠之助さんの頌辞(しょうじ)がありますね。達筆で鮮やかに「文化の関門」とある。簡明だが、本の奥行きを見事に表していますね。

末吉

筆者の中野金次郎さんは、この本の出版もあって上京し、原稿を入れた行李(こうり)を旅館にあずけて、北海道視察へ。その間に関東大震災で旅館は丸焼けになってしまう。愛児を失った思いであきらめていた所へ、旅館が持ち出した荷物の中にあったと返送されてくる。百億の財貨を焼き、10万の生霊(せいれい)を失った大災害の中で、我が稿本が助かったのは一大奇蹟で、海峡の守護神和布利(めかり)の神に、海峡の宣伝使である稿本を焼失から守っていただいたのだと感謝しています。

四島

幸運でしたね。独創的な仕事は、比喩的ですが少々クレージーな人でないとできませんね。中野金次郎さんも自分の原稿を海峡の宣伝使だと言っているのが面白い。創造型クレージーで迫力がありますね。和布利公園の山頂から海峡をながめましたが、関門は一つが自然ですね。21世紀には、この予言が実現するかもしれませんね。関門橋はその一歩だったかもしれない。

末吉

下関市とはいろいろ話しあって協調しているんですよ。無用の競争はやめて、お互いに独自の方法で海峡都市の発展をはかろうと。以前、門司に和布利ロープウェーの会社があったが下関の火の山に新しいのができてつぶれた。水族館も同様です。巻き返しをはかることもできるが、そんな事を海一つへだてた隣り同士が張り合ったって仕方がない。現に毎日の通勤通学者も、北九州から下関へ4千人、下関からは6千人が北九州へ来ているんです。車で数分、連絡船なら約五分、海底トンネルを歩いても十数分の距離です。生活感覚では、もうとっくにひとつの都市ですよ。だから共同で日本海峡フォーラムを開いたり、観光面でも協力しあっています。和布利公園の源平合戦絵巻のレリーフは有田焼の陶板1,400枚でつくりましたが、赤間神宮の社宝の「安徳天皇縁起図」を利用させてもらいました。宮本武蔵と佐々木小次郎ゆかりの巌流島フェスティバルも共催しています。夏の海峡花火大会も、以前は両市がエスカレートしあったのですが、これも意味がない。それでお互いに5千発ずつ、計1万発の打ち止めにしていますが、なかなか壮観ですよ。これで、私も花火大会を安心して楽しめるようになった(笑)。平家ゆかりのところにしても、下関に赤間神宮があれば、門司の*大里には安徳帝の柳の御所があって、引き分けですね。

四島

ただ幕末の長州戦争では、高杉晋作の奇兵隊に攻めこまれて、小倉城が焼けたし、散々でしたね。

末吉

あのとき、どの大名も日和見(ひよりみ)なのに、小倉藩は徳川幕府三百年の恩義を忘れず、譜代大名として、義を守って長州と戦った。長州の山縣有朋が、戦後にその義をたたえていますね。長州は、時代のビジョンがあって、関ヶ原以来の屈辱もそそいだ。

四島

どちらも大義があって(笑)。

末吉

そう、そう。いずれにしても130年前の歴史の話。いまは親密な隣り同士です。

四島

それにしても門司の和布刈公園と下関の火の山を結ぶロープウェイがほしいですね。早靹(はやとも)の瀬戸の潮の流れを見おろして、天下の絶景でしょうね。

末吉

その構想は、かねてあって、研究されているのですが、安全性と景観面、行政面などでING…。早急には無理ですが、いずれはできる。実現すれば関門観光のハイライトですね。

四島

私は和布利から関門海峡を見ていて思ったのです。北九州に日本の命運を支えた八幡製鉄はじめ主要工業群を創設したり、門司のロマンを生み出したりした先取スピリットの源泉は、この海峡の奔騰(ほんとう)する潮流ではないかと。

末吉

日に四度変わる潮の流れ。わずかに700メートルの幅の海峡を、時速約14~15キロで潮が奔騰する。この激しい潮流が幕末には長州に、明治中期からは北九州に、世界への目を開かせ、時代先取りの大正ロマンをうみだしたのかもしれない。中国の宋の文化と財貨もこの潮をこえて*平清盛の兵庫の港まで到来している。この潮流は平家の興隆と衰亡にもかかわっているんですね。そして戦前は大連・門司港間の定期航路があったし、下関には釜山との関釜連絡船があった。そして今は、1日700隻から800隻の船が航行しています。

四島

北九州工業地帯の隆盛も門司港の支えがあったからで。

末吉

後背地の筑豊の石炭と大陸の鉄鉱石をジョイントして八幡製鉄がうまれましたが、原材料の受け入れ、製品の積出しに門司港があったからできた。北九州工業地帯の発展は門司港がなくてはありえませんね。ところが昭和17年に鉄道の関門トンネルが開通し、昭和33年には国道トンネル、昭和48年には関門橋ができて、北九州工業地帯と門司港の関係がうすれ、門司港周辺のかつての栄光が嘘のように沈滞してしまったのです。

四島

しかし、発展からとり残されていたことで、門司港のレトロが温存された。埃を払い、新しい風を吹きこめば、ダイヤが光をとりもどすのですね。

末吉

そうなんです。これから門司はたのしみなんですよ。気がついてみると、あれもこれもとすばらしいレトロの宝庫でしょう。明治の中期から大正、そして昭和の初めにかけての、よき時代の西欧文化と日本の英知がこの港町に集中していた。つくづく、そう思いますね。

関源平壇ノ浦合戦 文治元年(寿永4年)(1185)3月24日

源平合戦絵巻
高さ3メートル、長さ44メートルの有田焼陶板レリーフ
平氏は源義経、範頼を迎えて、決戦を得意の海戦に求め、全軍彦島を出て田野浦に集結した。平氏五百余隻、源氏八百余隻。
平氏は東流れの潮を利して、九州勢を先陣に、三手に分かれて満珠・干珠に進撃し、源氏を包囲せんとした。
平氏は源義経、範頼を迎えて、決戦を得意の海戦に求め、全軍彦島を出て田野浦に集結した。平氏五百余隻、源氏八百余隻。
平氏は東流れの潮を利して、九州勢を先陣に、三手に分かれて満珠・干珠に進撃し、源氏を包囲せんとした。

門司港駅とアインシュタインも泊まった三井倶楽部

四島

ところで、レトロの一番柱はなんと言っても門司港駅でしょう。

末吉

昭和17年までの名称は門司駅だったのです。明治24年に九州鉄道が設けた門司駅は今の駅から150メートルぐらい離れていました。国鉄になってから、大連航路の拠点駅であり、発展する門司にふさわしい駅として、大正3年に今の駅が建てられたのです。鉄道院の技師たちは、ヨーロッパの主要駅を参考にして、ネオ・ルネサンス様式で設計したのです。私が感心するのは、この駅の風格です。建築面でも高く評価されていて、国の重要文化財です。夜の照明に浮かびあがる門司港駅の風格はまさに大正レトロの精緻で息をのみますね。昭和17年に関門鉄道トンネルが開通して新しく大里駅あらため門司駅ができたので、従来の門司駅が門司港駅に変わりましたが、それまではこの駅が九州発展の起点だったのです。

四島

なるほど、門司港駅には九州鉄道の起点を示す「0哩(ゼロまいる)標識」がありますね。北九州の発展、近代化をリードした門司だから、非常に象徴的で…。

末吉

日本銀行西部(さいぶ)支店が九州で門司に初めておかれたし、商社や商船や銀行の支店も目白押し。外国商館もあって、日本の新しい窓口である門司港にふさわしいターミナル駅だった。その意気ごみと香気が感じられるでしょう。門司駅を起点にしてつくられた清新な雰囲気は周辺の耳目(じもく)をうばって、語り伝えられた「一町ロンドン」を現出したのです。

四島

その雰囲気は今でも感じられますね。日本銀行の初代西部支店長は、のちの総裁・大蔵大臣の高橋是清で、門司港への大きな期待がうかがえますね。日本経済の占める門司港のウエイトが大きかったのですね。

末吉

出光興産や間組もここが発祥の地ですね。大正6年の入港船の約半数の2845隻が外国航路の船だったというから、はなやかで活気にあふれていた。昭和に入っても、13年のデータですが、門司港と若松港の内外貨物の取扱額があわせて約29億円で、横浜の約28億円を凌駕(りょうが)しているのです。北九州工業地帯のパワーと門司港、筑豊炭田と若松港がぴったり結びついていたのですね。

四島

重要文化財と言えば、旧門司三井倶楽部の建物も。

末吉

明治32年に三井物産門司支店が設置されましたが、その社交倶楽部として大正10年に建てられています。世界に進出した三井の偉力をまざまざと感じさせる豪華で気品のある建築です。のちに国鉄に所有が移り、門鉄会館になっていたのですが、市が譲り受けました。いまのレトロ地区から離れていたので駅前に移築したのです。ところがおもわぬ伏兵がいて、駅周辺は防災地域だから、二階建以上の木造建築は駄目、鉄筋コンクリートに限ると。

四島

それは困られましたね。

末吉

困ったが窮(きゅう)すれば通ずで、よく調べると重要文化財以外の木造建築は駄目という条項を見つけた。重要文化財は別ということで、ハハーン、この手があるなと(笑)。誰が見ても旧門司三井倶楽部は重要文化財にふさわしい建物でしょう。それで早速申請をし、承認されて、移築にかかったのです。移築に国の支援までついてラッキーでした。完成すれば、門司港駅と旧門司三井倶楽部の大正レトロを代表する二つの建築が向かいあって壮観ですよ。『放浪記』の作家、林芙美子さんは門司生まれですから、ここに「林芙美子資料室」をつくります。

四島

それはたのしみですね。そしてアインシュタイン博士が泊まられていて、箔(はく)がつきましたね。

末吉

大正11年に改造社の招きで来日した博士夫妻が数日間宿泊されました。その部屋を「メモリアルルーム」として残しています。博士は港周辺を散策して、第二の故郷のスイスの田舎に帰ったような安らぎを感じて、できることならここに永住したいとまで言われたそうです。

四島

そこでクリスマスにバイオリンを弾かれたとか。

末吉

三井物産の人がなぐさめにとバイオリンを部屋においていたのですね。博士はそのバイオリンをもって門司YMCAのクリスマス会に参加し、アヴェ・マリアを演奏されたそうです。

四島

大正レトロの*極めつきで、いいお話ですね。

末吉

そして音楽会などのイベントや、観光や物産の情報基地にと考えています。それにしゃれたレストランをつくって、パーティや結婚式、会食など、若い人をいっぱいひきこむつもりですよ(笑)。

門司港レトロめぐり

郷愁さそう大連日本橋図書館

四島

この頃は大連ブームで、大連が非常に身近ですが、レトロ地区に大連の歴史的建造物が建てられていますね。

末吉

戦前の定期航路の縁もあって大連市と友好都市の交わりを結んでいるので、是非郷愁をよぶエキゾチックな建物を移築したいと考えましてね。いろいろ検討して、大連の旧日本橋図書館を選んだのです。煉瓦(れんが)と石を使った半木造の三階建てです。日露戦争が始まる前々年の明治35年に、帝政ロシア時代のドイツの建築技師が、鉄道会社(東清鉄道)の事務所として設計した建物で、後に図書館として使われていました。ところが、移築はどうしても無理というので、そのままの設計で建築することにしたのです。設計図はのこっていないし、いや、苦労しました。建築資材もできるだけ大連で買って、感じをそのままに再現しているのです。戦前は「日本橋図書館」だったので、年配の方たちにはなじみの建物でしょう。大連を紹介する資料や図書を展示して、中国との友好を深めたいと願っています。

四島

まさに新しい風で、よみがえる門司港レトロですね。これからも次々に。

末吉

まあ、九州最北端物語ゾーンという計画にそって、次々整備していきますよ。門司港駅から船だまりを囲んで、大正ロマン通り、レトロプロムナード、帆船(はんせん)通りとならび、北九州市旧大阪商船(旧商船三井ビル)、旧門司税関など。そして新しくつくられたはね橋を通ってレトロの一巡ができる。手近なところでは、門司港駅から田野浦への貨物引込線をレトロ観光列車として、祭日や土・日曜に、しゃれたトロッコ列車を走らせてもいい。子供や若い人たちが喜ぶでしょうね。それから、関門トンネルや関門橋は日本の土木技術史にのこるハイライトでしょう。その技術史館も、どこかに設けて恩返しとともに、明日の日本のデザインをする人たちのお役に立ちたいと思っています。

バナナの叩き売りも門司から

末吉

福岡県の観光客は太宰府が一番だが、二番目は和布利です。この事は案外知られていない。門司港駅のサイン帳でも、昨年4千人近い記帳があった。下関と一緒になって海峡観光を推進すれば全国の人をあつめられますよ。

四島

九州の雄大な大自然と温泉に、スペースワールドやハウステンボス、シーガイアとセットすれば、大きな観光パイプになりますね。しかし門司港レトロの展開が行政リード型で行われてきた。見事なリーダーシップでしたが、これからは民間の創意と参画を引き出すのが大切ですね。

末吉

市の役目は、眠りつづけていた折角の貴重な宝のレトロを発掘して、起爆剤の役目をはたすことでした。これからは民間の出番です。北九州だけでなく福岡や九州の企業が門司に熱いまなざしを向けてほしいですね。

四島

ベースができているのではこれからが楽しみですね。それには何といってもレトロ+α。このαに企業の関心をあつめなければなりませんね。

末吉

そのためには、やはり門司独特の固有の文化を持つことですね。食文化ひとつをとっても、例えばドーバー海峡のカレイは有名でしょう。関門にはフグがある。これを誰でも気安く味わえるように、味と料金を工夫して名物にしなければですね。

四島

それはいい。私も早速、家族をつれて参りますよ(笑)。それから、門司の古いお店に元気を出してもらいたいですね。

末吉

ここは四代続いているお店も多い。規模は大きくないけれども、特色を出して味のある店づくりに挑戦してもらいたい、その助成もしたいですね。

四島

戦前の懐かしい風景だったバナナの叩き売りも門司が発祥でしたね。

末吉

台湾バナナが輸送の間に*熟れてきて市場におろせなくなる。それをあの懐かしいセリフで売りさばいた。智恵者の発想ですね。先年、この情緒を懐かしむ人たちが叩き売り風景を復興し、研修会もでき名人まで出ました。素人の競演会もおこなわれています。

四島

テレビで見ました。家庭の奥さんが、はっぴにねじり鉢巻姿で参加して爆笑の渦でした。門司ならではの風景でしたね。

末吉

レトロにくわえて、門司は人を呼ぶ笑いもある。風致も、歴史も…。壇ノ浦の源平合戦はよく知られていますが、維新直前にこの海峡で、長州がイギリス・アメリカ・フランス・オランダの四国艦隊と砲撃を交わしている。日本の夜明け前の激動の一コマでした。

四島

この海峡は日本のうねりに必ず顔を出してくる。小倉から7キロ、福岡から高速で1時間、そして下関観光の人もひきつけられる。レトロをスタートに門司港に頑張ってもらいたいものですね。

末吉

これまで港・門司は人影がまばら、そしてバックが工業地帯で、なんとなくダーティなイメージでしたが、レトロ復活で一変します。新しいカルチャーショックで、通過都市だった門司のイメージを一新しますよ。ホテルも整備されて、昼はレトロ、夜は気楽にフグを食べて、海峡の夜景を楽しんでもらう。いいですな(笑)。

四島

ますます楽しみになってきましたよ(笑)。中野金次郎さんの『海峡大観』の、現代版を市長に書きなおしてもらわなければならない。

末吉

これは私のバイブルだから、そんな不遜なことはできない(笑)。

レトロは“新鮮”

末吉

そうそう、その中の1頁に面白いことが書いてある。そのままを伝えれば、門司も八幡も戸畑も若松も、明治中期から発展しましたが、それまではさびしい農村か漁村か塩田でしたから、総称した呼びかたの、いまの“北九州”がなかった。それまでは全体を考える意識も必要もなかったのです。「九州電氣軌道株式會社の軌道が敷設さるるに當り(あた)、未だ(いま)適當(てきとう)なる宣傳(せんでん)の術語なきを以て、北九州の包括的字義を創意して宣傳を力(つと)めたるものは、同會社の庶務課長たる宮田兵三氏にして爾来(じらい)此一語(注、「北九州」)が廣く普通語として天下に行はるるに至れるなりといふ。」とあります。だから、宮田さんという鉄道会社の課長さんが宣伝のために北九州という言葉を考え、ひんぱんに使って、一般に普及し、いまはこの大都市の市名なんですね。

四島

いや、面白い(笑)。歴史というものは、ちまたの一人ひとりによってつくられるのかな。愉快ですね。すると関門県や、海峡府がいつか生まれるかもしれない。

末吉

なんでも創造が大切ですね。だから私は周りの人たちに北九州活性化の仕事はカケ算だと口をすっぱくして言っている。意欲がコンマ以上の人が集まって働けば、大きな仕事ができるが、創意や意欲がコンマ以下だったら群れれば群れるほどゼロに近づく。

四島

なるほど。レトロ門司の姿勢も意欲とサービスのカケ算なんですね。

末吉

はゝゝ。この対談、ここらで「海峡大観」の終章の言葉でしめましょうか。「此(この)新文明の雰圍氣の中、実に、津々たる趣味の漂(ただよ)へること此(かく)の如し。此雰圍氣の中に居住し、或は旅客として(略)巧みに趣味を辿(たど)り得ば、毫(ごう)も清新なる生を楽しむに妨げざるべきなり」と。

四島

しめの言葉もレトロでしたね(笑)。しかし、気持ちは“清新”で。レトロ門司の新生発展を祈って、ありがとうございました。