末松謙澄略年譜

年代(西暦) 事項 年齢
安政2年 1855 8月20日、豊前国京都郡前田村(現・福岡県行橋市)に生まれる。大庄屋の父・末松房澄(七右衛門)母・伸子の四男。幼名は千松(線松)、通称謙一郎、のち謙澄と改め、髄簗と号した。  
慶応元年 1865 村上仏山の私塾水哉園に学ぶ。 11歳
明治4年 1871 上京、大槻磐渓、近藤真琴等に学ぶ。 17歳
5年 1872 師範学校に入学したが、退学。高橋是清と知りあう。 18歳
7年 1874 東京日日新聞に入社。笹波篳一のペンネームで「社説」他に健筆をふるう。社長福地源一郎(桜痴)の知遇をうける。 20歳
8年 1875 正院御用掛出仕。特命全権弁理大臣、黒田清隆に随行して朝鮮国へ渡り、日朝修交条約の起草に加わる。 21歳
10年 1877 太政官権少書記官、法制局専務、陸軍省七等出仕、征討総督本営付となる。 23歳
11年 1878 英国公使館付一等書記官見習で、英・仏・歴史編纂方法取り調べのため渡英。 24歳
15年 1882 ロンドンで英訳「源氏物語」を出版。 28歳
19年 1886 帰国。内務省参事官。演劇改良会を首唱発足。 32歳
20年 1887 内務省県治局長。初めて天覧劇を演出。 33歳
21年 1888 文学博士。 34歳
22年 1889 伊藤博文の次女生子と結婚。
  • 憲法発布
35歳
23年 1890 第一回衆議院議員選挙に当選(福岡県第八区)。以降三選。 36歳
25年~29年
1892~1896
法制局長官に就任。内閣恩給局長を兼任。男爵となる。貴族院議員。
  • 日清戦争(明治27年~28年)
38歳~
42歳
30年 1897 毛利家歴史編輯所総裁を委嘱される。 43歳
31年 1898 第三次伊藤内閣の逓信大臣に就任。 44歳
33年 1900 伊藤博文主導の立憲政友会結成に創立委員。第四次伊藤内閣の内務大臣。 46歳
37年 1904 日露戦争期には特使として英国に駐在、英国の世論を親日本にと活動。
  • 日露戦争(明治37年~38年)
50歳
39年 1906 帰朝。枢密顧問官。 52歳
40年 1907 帝国学士院会員。子爵。宮内省御用掛。 53歳
42年 1909
  • 伊藤博文ハルピン駅で暗殺される
55歳
大正7年 1918 法学博士。 64歳
9年 1920 6月『修訂防長回天史』全篇脱稿。8月『防長回天史』初版本完成(全12巻)。10月5日(死亡)。 66歳
10年 1921 3月『修訂防長回天史』全12巻発行。