森鴎外 年譜

年号 年齢 事項
文久2 西暦1862 0歳 1月19日(新暦2月17日)石見国(島根県)津和野に出生。
明治5 72 10 父に従って上京。神田の西周邸に寄宿。
7 74 12 第一大学区医学校予科(後の東京大学医学部)へ入学。
  • *許容年齢の14歳と偽り入学。
17 84 22 8月、陸軍衛生制度調査および軍陣衛生学研究でドイツへ留学。明治21年(1888)9月帰国(4年1ヶ月)。
22 89 27 3月、海軍中将男爵赤松則良の長女登志子と結婚。
23 90 28 『舞姫』『うたかたの記』を発表。
9月、長男於菟が誕生して間もなく登志子と離婚。
24 91 29 医学博士になる。『文づかひ』
26 93 31 陸軍一等軍医正にすすみ、陸軍軍医学校長。
27 94 32 日清戦争に第三軍兵站軍医部長、帰国し陸軍軍医学校長に再任。
29 96 34 陸軍大学校教官。
31 98 36 近衛師団軍医部長兼陸軍軍医学校長。『西周伝』
32 99 37 6月8日、軍医監、第十二師団軍医部長発令。19日小倉へ着任。
9月26日、「我をして九州の富人ならしめば」が福岡日日新聞(現・西日本新聞)6千号記念号に載る。
33 1900 38 1月、「鴎外漁史とは誰ぞ」を福岡日日新聞に掲載。10月、衛生隊演習で直方の貝島太助邸に三泊。
34 1 39 「即興詩人」の翻訳完成。11月18日、八幡製鉄所の作業開始式に参列。
(日記では17日と誤記)。
35 2 40 1月24日大審院判事荒木博臣の長女、志げと再婚。3月24日、上長官会議で「洋楽の盛衰を論ず」の告別講演。第一師団軍医部長に任じられ、26日小倉を去る。
36 3 41 クラウゼヴィッツの「大戦学理」「戦争論」の翻訳出版。
37~38 4~5 42~43 日露戦争に第二軍軍医部長で出勤。
39 6 44 山県有朋を中心とする歌会「常磐会」を興し幹事に。
40 7 45 陸軍軍医総監に昇進、陸軍省医務局長。
42 9 47 文学博士。
44 11 49 『雁』『灰燼』
45
(大正1)
12 50 歴史小説の創作を始める。
『興津弥五右衛門の遺書』
2 13 51 『阿部一族』『佐橋甚五郎』『護持院ヶ原の敵打』
3 14 52 『大塩平八郎』『堺事件』『安井夫人』『栗山大膳』
4 15 53 『山椒太夫』『魚玄機』『ぢいさんばあさん』
『最後の一句』
5 16 54 予備役となり陸軍軍医局長を退く。『高瀬舟』『寒山拾得』『渋江抽斎』『伊澤蘭軒』
6 17 55 帝室博物館総長兼図書頭。『北条霞亭』
8 19 57 帝国美術院長
11 22 60 7月9日肺結核と萎縮腎で逝去
  • ※『 』は小説名。発表年に記載
  • ※緑の文字は小倉時代。