俳句一途に「一處一情」のひと

橋本美代子 氏
俳句誌「七曜」主宰
橋本多佳子 四女

敦子が描いた櫓山荘の絵

これは姉の敦子が描いた櫓山荘の絵です。左奥に、当時走っていたちんちん電車が見えます。小倉駅から七つか八つ目の中原電停でおりると、すぐに白砂の浜で、櫓山荘の前庭でした。ユーカリの並木を通ると境川で、「右豊前左筑前」の標識が立っていました。木橋を渡ると岬山の櫓山荘で、門司、下関方面、玄界灘が一望でした。

山荘は門司の三井クラブのように、青と白色の木組みの洋館風でした。すぐ下(右奥)は響灘の磯で、子供の私たちにはカニや兜蟹や海ほおずきが友達でした。お客さまには、漁師さんが獲ってきた伊勢エビや鯛でおもてなしです。でも、子供の私たちは二階の子供部屋に缶詰めで、綱引きのエレベータで運ばれる食事は質素なものでした。久女さんは母の俳句の先生でよく見えていたそうです。櫓山荘の展望や、妹のような弟子の多佳子に気を和ましておられたのでは…。多佳子は久女さんに、生涯の師となる山口誓子先生を引き合わせていただきました。

誓子先生は「多佳子のうちにある格調は、久女から受け継いだものであろう。それは古典を通じての女心だ」と言っておられます。母は、寂しがりやで、正直で、天真爛漫でした。好き嫌いははっきりしていましたが、愚痴ひとつ聞いたことはありません。東大寺法華堂の月光菩薩や興福寺の阿修羅像に魅せられて何度も通っていました。ひそかな恋仏でした。ただただ俳句一途の人でした。その姿を誓子先生は「一處一情」と評されています。私も母の姿に魅せられて、とうとう母の遺した「七曜俳句会」を引き継いでいます。

草の笛櫓山の父に母に吹く
葛かぶる瓦礫の中に紅瓦

美代子
(談)