小倉変遷

西暦 年代 城主 事項
1587 天正15 毛利 勝信 豊臣秀吉が九州平定し、小倉城入城。側近の毛利勝信に企救・田川郡(6万石)。
1600 慶長5 細川 興元 関ヶ原の合戦の功(30万石)により細川忠興中津城に入城、弟興元に小倉城を守らせた。6年興元出奔。
1602 〃7 忠興(ただおき) 小倉城を築城し居城に(12年完)。
1620 元和6 忠利 (二代)小倉城主。
1632 寛永9 小笠原 忠真(ただざね) 細川忠利肥後国に転封。明石城主小笠原忠真入国(15万石)。
1667 寛文7 忠雄(ただお)
1725 享保10 忠基(ただもと)
1788 天明8 忠総(ただふさ) 藩校思永館を創設、頭取石川彦岳。
1791 寛政3 忠苗(ただみつ) 家老犬甘(いぬかい)知寛・藩政の大改革。
1837 天保8 忠固(ただかた) 天守閣はじめ本丸焼失(天保10年再建、天守は建てず)。
1843 〃14 忠徴(ただあきら)
1856 安政3 忠嘉(ただひろ)
1860 万延元 忠幹(ただよし)
1864 元治元 幕府の長州征討令発令(第一次)。
1865 慶応元 忠幹死亡。幼年の忠忱(豊千代丸4歳)相続まで2年間、喪に伏す。幕府の長州征討令発令(第二次)。
1866 〃2 長州藩との戦闘(6月17日小倉戦争起こる)。小倉城を自ら焼き(8月1日)企救・田川郡境に退く(香春を拠点)。
1867 〃3 忠忱(ただのぶ) 長州藩と講和(1月)。香春藩(田川郡香春町に藩庁)。豊千代丸(忠忱)家督相続し、香春藩主。12月9日王政復古の宣言。
1868 慶応4
明治元
9月8日明治と改元。
1869 〃2 忠忱、版籍奉還。家老小宮民部切腹(2月11日)
1870 〃3 藩庁を豊津に移す(豊津藩)。
1871 〃4 6月17日廃藩置県(豊津県)小倉県設置。(明治9年福岡県に合併)
1898 〃31 第12師団司令部設置。
1899 〃32 門司市、33年小倉市ついで各市発足。
1945 昭和20 米国駐留軍城内を接収(昭和32年接収解除)。
1959 〃34 小倉城天守閣落成。
1963 〃38 2月10日五市合併、北九州市に。4月1日政令指定都市に指定。