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トップインタビュー

ヒューマンタッチとデジタルのベストミックスで総合力No.1の金融グループへ

 6月29日付で就任した西日本シティ銀行 
村上頭取に、トップとしての意気込み
今後の経営戦略についての考え方を聞きました。

新型コロナウイルスで地域経済は大きな打撃を受けました。その中で、西日本シティ銀行が実行した新型コロナ関連融資は件数、金額とも全国の金融機関で1位、2位を争う多さでした。

 新型コロナ関連融資では、資金繰りなど取引先支援に全社一丸となって取り組みました。多くのお客さまに融資ができたということは、地域から頼りにしていただいた証です。同時に中小企業育成や個人に強い銀行という、われわれのDNA、顧客基盤を再確認しました。若い行員も、地域のために働くという、地方銀行の社会的意義を認識してくれたことだろうと思います。
 ワクチン接種が進み、やがて日本経済もコロナ禍前の水準に戻るでしょう。しかし、「K字回復」と言われるように、企業業績は二極化しています。ここから先は資金繰りだけでなく、それぞれの状況に応じた支援が求められています。
 好調な企業には、設備投資用の融資や、M&Aなどのソリューション分野でお手伝いします。
 コロナ禍で苦しい企業にも、時間がたてば回復しそうな企業と、業態や業務を抜本的に転換しなければならない企業があります。前者には回復期までの資金繰りを、後者には経営改善策を提案し、支援していくことが求められるでしょう。

中期経営計画「飛翔2023~地域の元気を創造する~」の2年目に入りました。現在までの進捗具合や、今後の方針はいかがでしょうか。

 中期経営計画の1年目は、順調にスタートが切れたと考えています。特に業務革新は、大きな実を結びつつあります。恒常的な経費削減にとどまらず、仕事のやり方や会社の風土にまで良い影響を及ぼしています。データを緻密に分析し、それに基づいた対応策や企画案が目に見えて増えてきました。
 業務革新を進めるに当たっては、現場の声を聴くことを意識しました。お客さまと直接向き合っている現場が何を考え、どんな課題があるのかを拾い集めて改革に生かすようにしています。その結果、本部と支店の意思疎通が相当良くなったと感じています。
 中計2年目は、この変革へのムーブメントを一段と深化させ、スピードアップに努めていきます。大きな柱の一つが、デジタル化の進展だと捉えています。

デジタル化の進展をどう具体的に進めますか。

 これまで社内外の業務の合理化や、お客さまと銀行をつなぐツールのデジタル化を中心に進めてきました。足もとでは、「印鑑も伝票も使用しないスマートな営業店づくり」を目指して、外部企業と検討を始めました。5年後には8割の事務手続きがデジタル化されることになるでしょう。お客さま向けに、スタートアップ企業も含めた多様な企業と連携し、業界トップレベルのデジタルサービスを提供し続けます。
 今後、私たちが追求するのは、真のデジタルトランスフォーメーション(DX)です。少し抽象的ですが、デジタル化によって得られたデータを分析・活用して、新たなビジネス領域やビジネスモデルを作り上げることだと考えています。銀行単独で新たなビジネスを作るというよりも、外部と連携してDXに取り組んでいきます。さらには、お客さま、取引先に成長に向けたDXを提案できるように進化したい。デジタル化やDXの深掘りに、これまで以上に人材と資金を投じて、積極的に取り組みます。
 ただ、西日本FHグループの究極の強みがデジタルかというと、そうではないでしょう。デジタルはもちろん必要です。しかし、私たちの強みは、突き詰めれば「ヒューマンタッチ」です。
 コロナ禍の当初、行員は感染への不安を抱きながらも、休日返上で取引先支援にあたりました。困っているお客さまのために、一刻でも早く融資できるように頑張った。この頑張りは、ヒューマンタッチの一つの形でしょう。
 マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏はかつて、「Banking is necessary, but banks are not(金融機能は必要だが、銀行は必要ではない)」と言いました。私はコロナ禍での行員の奮闘を見ました。日米の資本市場、金融システムの構造の違いはあるでしょうが、「銀行が不要なんてことはありませんよ」と反論したい。地域に根を下ろし、地域とともに発展する総合力No.1の金融グループ。それが私たちの目標であり、その実現にヒューマンタッチは欠かせないのです。
 デジタルとヒューマンタッチのベストミックス。その具体像を求めて、試行錯誤を続けていきます。

国連が掲げたSDGs(持続可能な開発目標)とESGへの取組みが企業経営に求められています。

 SDGsは国際社会共通の目標ですが、私たち地域金融機関が担うべき役割としては、地域課題の解決に向けた積極的な取組みを通じて、地域の発展に貢献することであるといえるでしょう。
 私たちは以前から、創業支援をはじめとする地元企業・産業の育成、支援や多種多様な地域貢献活動に積極的に取り組んできました。こうした活動をSDGsという観点から整理し、改善を加えながら継続していきます。グループの旗振り役として、2020年4月には西日本FHに「SDGs推進室」を設けました。
 具体的には今年3月に、取引先の SDGsへの取組みを後押しする「SDGs事業アイデア発想塾」を始め、4月には「気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)提言」への 賛同表明を行いました。
 また、「環境」、「社会」、「ガバナンス」の点から企業経営を分析する ESGへの関心も高まっています。西日本シティ銀行はすでに、取引先企業の事業性評価のヒアリングシートに、ESG に関する項目を設けました。
 こうした国際的な潮流の中で、最も重要となっているのは、二酸化炭素など温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする、カーボンニュートラル実現への挑戦でしょう。私たちもこの動きに加わっていきます。
 企業にとってのカーボンニュートラルには、2つの側面があると言われています。一つは自社の温室効果ガスの排出量を減らすという、いわば「守り」の側面。もう一つの側面は「攻め」、すなわち脱炭素化への移行(トランジション)をはじめとする成長戦略としての側面です。今後、世界中でカーボンニュートラル実現へ、莫大な投資が発生していきます。「約束された市場」とも表現されますが、大きなビジネスチャンスです。
 私たちはこの攻めと守りの両面で、取引先を支援します。例えば、温室効果ガスの排出量削減のために太陽光発電や建物のZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)化等の設備投資に取り組む企業に融資やコンサルティングサービスを提供する。また、行政が講じるさまざまな補助策や助成金を、取引先企業が活用できるように後押しする。地方創生やスタートアップ企業育成を一体的に捉える必要もあるでしょう。現在、取引先企業のSDGsへの取組みと借入条件が連動するようなローン商品の開発も検討しているところです。
 企業のカーボンニュートラルへの移行を、融資とコンサルティングの両面で支援する。それが、中計2年目以降、積極的に取り組む施策の一つです。

村上社長のルーツについて、聞かせてください。

 高校まで大分県日田市で育ちました。日田といっても、田舎暮らしが多く、山や川で遊びまわる子供時代でした。というのも父が水力発電所の技術者だったからです。水力発電所は基本的に山の中にしかありません。最初に通った大山町立松原小学校は、ダムの底に沈みました。
 両親の教育方針は「超」が付く放任主義で、「勉強しろ」と言われたことはほとんどありません。塾も行っていません。ただ2歳上の姉の影響で、読書は好きでした。誕生日やクリスマスのプレゼントはすべて本です。ありがたいことに、文学全集や百科事典も買ってもらいました。
 そんな放任主義の両親ですが、手抜きや愚痴、他人批判など、道義にもとる行為をすると、こっぴどく叱られました。今思えば、ありがたい躾でした。
 大学は九州大学経済学部です。もともと「弁護士になりたいな」と思っていたのですが、法律の専門家だった親戚から、「弁護士になるにはコツコツまじめに勉強しなきゃいけない。性格的に向いてないと思う」と言われて、路線変更しました。
 高校、大学時代は、映画「アメリカン・グラフィティ」に描かれたような大らかな7年間を過ごしました。福岡市内の親不孝通りの店に集まったり、波のない福岡の海でサーフィンをしたり…。よい先生や友人に恵まれ楽しい思い出ばかりです。
 卒業後は東京で就職する気でした。同級生も皆、東京に行くという。ところが、「母の体調が悪い。地元にいてくれないか」と懇願されたのです。東京行きをあきらめ、当時の西日本相互銀行に入行しました。
 その後、母はすっかり復調しました。あまりの元気ぶりに「もしや、だまされたかな?」と思うこともあります。ありがたいことに父母は、今も元気にしています。

銀行員になって、良かったと思うことは何でしょうか。

 どんな仕事にも、社会的使命や意義があります。企業理念と言い換えることもできます。銀行、なかでも地方銀行は、この理念と実際の仕事が非常に近いと思います。
 自分が融資をした企業が、大きく成長する。あるいは融資によって街の開発が進み、より活気のある街に発展していく。仕事の成果を、わが街で、わが目で見ることができるのです。本当にありがたい職業だと実感しています。
 私を含む世代は、バブル経済の形成から崩壊、そして長い苦難の時代を銀行員として過ごしました。その体験を通じて、「われわれ地銀が今日もあるのは、地域のお客さま、地域社会のおかげだ」という認識を心に刻んだのです。
 苦労して大きな壁を乗り越えることで、仕事の本当の楽しさ、達成感を得ることができる。若い行員や社員にも、そんな経験や気持ちを共有してもらいたい。そうして人間的に成長し、次代の西日本フィナンシャルホールディングスを担ってほしい。その土台造りが私に課せられた仕事だと思っています。

村上 英之(むらかみ・ひでゆき)

1961年3月14日、大分県生まれ。
大分県立日田高校、九州大学経済学部卒業。1983年に西日本相互銀行(現西日本シティ銀行)に入行。常務執行役員総合企画部長、取締役専務執行役員、西日本フィナンシャルホールディングスの取締役執行役員などを歴任。2021年6月から現職。趣味は読書、ゴルフ、美術鑑賞。読書はカズオ・イシグロ氏や原田マハ氏らの作品を愛読。理髪とゴルフ以外は、時間が合う限り常に妻と一緒に行動する。